2015年8月27日木曜日

ユウタナジイ

森鷗外の高瀬舟と高瀬舟縁起を読んで。

ユウタナジイは楽に死なせるという意味である〜と書いてあり、つまり安楽死という事は理解したのだが、恥ずかしながら古くからの言い伝えの日本語のまじない的な言葉だとばかり思い込んでいた。

ある日ふと、英語euthanasiaの単語が目に入り、これが森鷗外の書く「ユウタナジイ」ということなのだと漸く気付いた。
頭の回転は遅いが、言葉の点と点が理解への線につながると結構嬉しい。

英語のスペルからだとユウタネ〜ィジアだろう、ちょっと違う。森鷗外はドイツに居たのだから彼の云うユウタナジイはドイツ語由来なのかしら。それともラテン語?ラテン語の綴りは見つけられず。ドイツ語だとEuthanasie(発音はオウタナジイに近い感)。
フランス語だと euthanasie ドイツ語と同じスペル。発音はウタナジに近い印象。

weblio辞書によると、語源はギリシャ語によるもので「幸福な死」という意味だそう。言葉がとてもポジティブな印象だ。

高瀬舟の事は、尊厳死協会の冊子のコラムで見かけて読んでみようと思ったのだった。この話は「翁草」に出ていて、この問題を森鷗外自身が興味を持ち、中央公論に発表したものである。江戸時代に京都の罪人流罪になる際に高瀬舟で大阪に廻される。それを護送する際に罪人の話を聞くのだが、ある人を護送した時、この人のした事は罪なのだろうかと、護送する者は考え込む。
想像より昔から安楽死の問題は提起されていたのだと実感した。

青空文庫の高瀬舟縁起から引用〜
死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。人を死なせてやれば、すなわち殺すということになる。どんな場合にも人を殺してはならない。『翁草』にも、教えのない民だから、悪意がないのに人殺しになったというような、批評のことばがあったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定木しゃくしじょうぎで決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死にひんして苦しんでいる。それを救う手段は全くない。そばからその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいというじょうは必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死にひんして苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどくおもしろい。
 こう思って私は「高瀬舟」という話を書いた。『中央公論』で公にしたのがそれである。


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